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Mostar
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壁の砲弾痕以外全て改装されたレストラン。
左奥には破壊されたまま手付かずの建物が見える。
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モスリム系居住地域メインストリート。正面建物は全く補修されていない。
紛争中この辺り一帯は敵勢力にライフラインも止められた。
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ネレトヴァ川ほとりのモスク。
この先にある塔に入りらせん階段を登ると町並みが一望できる。
そこから見下ろす風景は最高の眺め!!
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東を望む。四方が山に囲まれているので攻撃されやすい地形だったようだ。
道路から、山から攻撃されてはひとたまりもない。。。
手前の2軒は壁も全て改装されて新しい。
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左はカフェ。右はラグ、銅製品などを扱ったショップ。
奥に立っている2人のところからネレトヴァ川が見下ろせる。
そのすぐ左に世界遺産の『古橋』が掛かっている。

※上記写真すべてネレトヴァ川東岸、モスリム系居住エリアを写したものです。

モスタルをあるいて・・・
(以下少し長文です)

旧ユーゴスラビアより以前、オスマン帝国時代にモスタルの町が造られたためトルコの影響を受けた町並みで Turkish House なる建物も残っていた。屋根や窓、柱の組み付け、バルコニー、土産物屋で売られているラグなどを見ると確かになるほど・・・そんな感じがしなくもない。ただ、モスタルにある建物は、内戦の砲撃の痕が今なお多く残っている。補修して直さないのは、決して風化させないという意思の現れの様にも思えた。川の両側で民族、宗教は違っても共存共栄しながら友人関係を築き結婚し家庭を守ってきた人々を、殺戮しあう関係に変えてしまったボスニア紛争ってどんな争いだったのか。。。

主戦場となったモスタルでは、
▲'92年冬
ボスニア紛争開戦当初はモスリム系&クロアチア系勢力 vs セルビア系勢力であったが、セルビア系勢力はサラエボまで撤退。
▲'92年夏
セルビア系が撤退すると、今度はクロアチア系が民族浄化のもとモスリム系への迫害がネレトヴァ川を挟んで行われた。
そこに再びセルビア系勢力が加わり3民族で「領土取り合い」の争いが激化する。
▲'93年春
クロアチア系とモスリム系は敵対関係となりクロアチア系とセルビア系が同盟を結ぶ。
▲'93年初冬
無数の銃撃と、数十発ものロケット弾にも持ちこたえていた『古橋』が爆薬によりクロアチア系勢力(モスリム系勢力の自作自演とも)により完全に破壊。
(おみやげに買ったDVDにも古橋爆破崩落のシーンが記録されていた)
▲'94年冬
クロアチア系とモスリム系の戦闘が止まる。
アメリカの強引な介入によりボスニア&ヘルツェゴビナ連邦が形成。
▲'94年夏
モスタルはEUの監視下に置かれる。
▲'95年秋
ボスニア&ヘルツェゴビナ全土で停戦合意。
▲'99年
崩落した石を川から回収し『古橋』は元通りに復旧させることとなる。
▲'04年春
工事が完了。
▲'05年
『古橋』とその周辺がユネスコの世界遺産に登録される。

3民族の争いがこの小さな町を舞台に3年半続いた。勢力によってはあっちについたりこっちについたり、お約束の様にアメリカが割り込み、停戦&独立とは名ばかりでクロアチア系住民にはクロアチアの選挙権、国籍も与えられる一方モスリム系住民の人口は半減(!)した。その影響もあってかネレトヴァ川東岸の旧市街は西岸の新市街に比べ復興が進んでいないように見えた。屋根や床が抜け落ちた壁だけの建物がまだまだ多く残っていた。

つい十数年前に異民族のご近所さんやクラスメートだった友人同士の殺戮や強姦が行われたという事実が、この町を歩いていてなお信じられなかった。異民族の子を産ませ戦争が終わっても子の代まで近親憎悪を残す。この町の人々はそんなおぞましい記憶を一生消える事無く心の奥に持っているのだ。そんな感情を煽動する指導者が出てくる限り不毛な争いは終わらないだろう。

『民族』とは殺戮と引き換えに守るべき高潔なものなのだろうか??中東の『宗教原理主義』に端を発するこれらのくにぐにの目指したい青写真が何なのかも全く解らないし、高い民族意識から『民族浄化』に行き着く指導者の論理はとうてい理解できるものではない。本来は人の拠り所となるべき『宗教』『民族』(へのこだわり)さえ無ければ世の中もっと平和になるのではと単一民族の島国に住む民族意識の薄い無宗教なボクは思ってしまうのだ。

2007.9.26 Mostar Town, Bosnia & Herzegovina




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by travelster | 2007-12-19 21:28 |  ├Bosnia&Herzegovina | Trackback | Comments(2)
Commented by top-to-toe at 2007-12-19 22:25
クリスマスが近くて、年末で葬式も増えて
宗教や民族の事を色々考える時期であります。

「自分自身の芯となるもの」としての「族」。
アイデンティティって色々あるけど、
海外行くと本当にそれ(民族意識)が強いなぁ、って思うときが多いです。
特に植民地等で虐げられた過去を持つ人々には。

宗教によって平和になる術もきっとあるのにね。
少なくとも私にとっての「神」や「民族意識」はそうです。
Commented by travelster at 2007-12-21 22:20
★top-to-toeさんへ
まさに今はホーリーシーズンですね♪
日本民族なんて意識はないけど大阪人やれ九州人なんて郷土意識ってありますもんね。
陸続きでしかも隣に住んでたら民族の違いを意識するなって方が無理なんだろうな。きっと。
西欧の人が中国人と日本人と韓国人が(全然違うのに)同じに見える様に、西欧の微妙な民族の違いって正直まだまだ良く解らないです。
今度、民族について詳しくレクチャーして下さい(笑)
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